アルゼンチンに飛び込んだら人間不信が克服できた話①

2015年、大学生だったわたしは、アルゼンチン行きを決意しました。

日本とは真反対に位置する国。
日本から最も離れた国。

こんなにも故郷から遠い場所に行くのは生まれて初めてです。
不安もありました。

でもそれ以上に、日本社会から逃げたい気持ちが強かった。
常識やしがらみから解放されて、自由になりたかった。
そんなこんなで、南米アルゼンチンへ足を踏み入れました。


これから数回に分けて、
人間不信だったわたしがアルゼンチンでの暮らしの中で
それを克服できた話をしたいと思います。

「人間不信が克服できるのでアルゼンチンに行きましょう!」
とアルゼンチンへの旅行や留学、移住をおすすめする話ではありません。

わたしの体験談を読んでいただくことで、
「人って意外と温かい生き物なんだな」とか
「もう少し人と関わってみようかな」とか
「誰かに優しくしてみようかな」
と少しでも思っていただけると嬉しいです。

今回は、わたしがどんな子供時代を過ごし、
どうして人間不信になってしまい、
どのようにしてアルゼンチン行を決意したのかお話したいと思います。

表と裏

人間不信と聞くと、
「きっと子供時代に家族や学校の友達、先生との関係性が悪かったんだろうな」
と思う方が多いと思います。

わたしはそうではありませんでした。

両親は私のことを大切に育ててくれましたし、
学校の友達は少なかったですが仲良くしている人がいました。
どちらかというと優等生タイプだったので、
先生から褒められることも多かったです。

傍から見ると、とても恵まれた環境だと思います。

でも、わたしは、いつも葛藤を抱えていました。
誰に対しても心から信じ気を許すことができなかったからです。

最近になって知ったのですが、
わたしはHSP(ハイリーセンシティブパーソン)気質の持ち主でした。

日本人の4人に1人はいるというこの気質。
何か病的なものではなく、生まれながらに持っている性格のようなものです。

HSP気質の人はその名の通り色々なことに敏感で、
観察力、直観力が優れていると言われています。

特徴的な部分は色々ありますが、
その中でもわたしを悩ませていたのは
「相手の本音が見えてしまう」ということでした。

人のことを細かく観察してしまったり、
ちょっとした変化に気づいてしまったりで、
相手が言っていることと本音が違うということを
子供ながらに敏感に感じ取ってしまうことが多かったです。

さっきまでその人と笑顔で話していたのに、
陰でその人の悪口を言っている。

口では優しいことを言いながら、
相手を追い詰めようとしている。

そんなことが伝わってきて、
わたしは相手を心から信じることができなくなりました。

誰かと話している時は
「この人の本音は何だろう」
「どんな見返りを求めているんだろう」
「わたしに何をしてほしいんだろう」
ということをついつい考えてしまう始末。

いつしか長時間人と関わるのが疲れて
距離を置くようになってしまいました。

しばらくすると、
「このまま社会人になったらどうしよう」
という不安も膨らんでいきました。

社会人になれば、
強制的にたくさんの人と仕事上で関わらないといけなくなる。

今の自分だったらきっと生き抜けないだろう。

そんな思いで悶々と過ごしていた時、
受講していたスペイン語の授業で、
担当の先生からアルゼンチン行の交換留学プログラムを紹介されました。

今まで慣れてきた環境から離れることは不安でしたが、
それ以上に「今のつらい状態から逃げたい、変えたい」という気持ちが強く、
アルゼンチン行の留学を申し込みました。

故郷から遠く離れて

飛行機に乗って約24時間。

日本から直行ではいけないので、
フランスを経由してアルゼンチンに到着しました。

日本を出た時は冬の終わりごろでしたが、
ここは日本とは真反対の国。

真夏の日差しに洗礼を受けました。

「わぁー、わたしはもう日本からすごく遠く離れた国にいるんだ」
と実感しました。

交換留学先の大学の授業が始まるのは1か月後。
少し早めに入国して、スペイン語の語学学校に通うことにしていました。

というのも、日本の大学でスペイン語の授業は受けていたものの、
会話力はほぼ皆無でした。

宿泊先は、語学学校が運営しているシェアハウスです。

幸いなことに、前年にアルゼンチンへ交換留学をしていた先輩から、
現地の友達を紹介してもらっていました。
日本語が話せるアルゼンチンの大学生です。

彼女が空港まで迎えに来てくれ、宿泊先まで案内してくれました。

タクシーに乗って宿泊先の建物まで到着したものの、
待ち合わせしていたはずの家主さんはそこにおらず、
大きな荷物を持ったまま道端に立ち往生することになりました。

実はアルゼンチンは治安の悪い国と言われています。
特に日本人は危ないそうで、
大きな荷物を持って歩いていると「観光客」だと思われて
襲われるという話をよく聞いていました。

まさにその状況でした。
ありがたいことに、宿泊先まで同行してくれたアルゼンチンの友達が
家主さんに電話をしてくれ、
宿泊先に家主さんが到着するまでずっとそばにいてくれました。

もし一人でここまで来ていたら・・・と想像するとものすごく恐怖でした。

初対面の相手にこんなにも良くしてくれるアルゼンチンの友達に
何か温かいものを感じました。

彼女にとっては私のために時間を使っても何の見返りもありません。
でも、嫌な顔一つせず、
わたしが宿泊先に無事入れるまでずっと寄り添ってくれました。

宿泊先での家主さんからの説明を通訳してくれたり、
街の中を案内してくれたりしました。

出会ってまだ数時間でしたが、
彼女のことを信頼している自分がいました。

開き始めたこころ

それからシェアハウスでの生活しつつ語学学校に通う日々が始まりました。

シェアハウスには、わたしの他にカナダ人の女の子と、
ドイツから来た女性が宿泊していました。

人見知りのわたしですが、
語学学校への行き方が分からず困り果てて、
隣の部屋のカナダ人の女の子に声を掛けました。

ものすごく勇気を振り絞ってつたない英語で質問をすると、
彼女はわたしの言葉を聴きとって丁寧に学校への行き方を説明してくれました。

ドイツ人の女性はとても社交的な人で、
わたしにどんどん話しかけてくれました。

一緒に学校まで歩いていくことになり、
英語もスペイン語もあまりうまく話せない私の話を
笑顔で聴いてくれました。
学校でもすれ違うと、とてもうれしそうな表情で話しかけてくれたり、
アドバイスを色々くれたりしました。

そうした人たちのと関わりの中で、
わたしの心の中にあった冷たいものが、
少しづつ温められていきました。

この時は、まだ毎日が新しいことの連続で
自分のことを振り返ることができてませんでしたが、
後で考えると、この頃から少しずつ人間不信な気持ちが和らいできていました。

「見返りを求めず相手を助ける」「相手のために何かしてあげると自分も嬉しくなる」
そんな生き方を知って、わたしは少しずつく変わり始めました。

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